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宇都宮地方裁判所 昭和30年(行)7号 判決

宇都宮市馬場町三、一八〇番地

原告

福上貞一

右訴訟代理人弁護士

稲葉誠一

宇都宮市江野町

被告

宇都宮税務署長

島田邦次郎

右訴訟代理人

森川憲明

那須輝雄

植竹徳次郎

森田芳雄

右当事者間の昭和三〇年(行)第七号所得税更正決定の取消請求事件について、当裁判所の次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告が原告に対してなした、原告の昭和二七年度所得税に関する所得金額一、三三五、一三三円、税額四五五、九〇〇円、とする更正決定は之を取消す。被告は原告の昭和二七年度の所得金額を一、〇一五、八七〇円、税額を三〇八、〇九〇円と変更しなければならない。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、

(その請求原因として、)

(一)  原告は肩書地において呉服及び洋服生地類の販売を業としている。

(二)  原告は昭和二七年度の所得税に関し、真実の所得額は一、〇一五、八七〇円で、その税額は三〇八、〇九〇円となるので、その旨を被告に申告した。

(三)  ところが被告は原告の昭和二七年分の所得額を一、三三五、一三三円、税額を四五五、九〇〇円と更正決定をした。

(四)  そこで原告は再調査請求をなし、次いで関東信越国税局長に審査請求をしたが、昭和三〇年六月一四日付をもつて、再調査決定に対する請求は棄却され、再調査の目的となつた処分に対する請求は却下され、右決定は翌一五日原告に送達された。

(五)  然しながら昭和二七年度の原告の所得額は前記申告額が正しいのであるから、被告がなした右更正決定の取消変更を求めるため、所得税法第五一条第三項の規定に則り本訴に及んだ。

と述べ、

(被告の主張に対して、)

(一)  被告主張の事実中、原告の昭和二七年分の仕入額、期末棚卸額、必要経費、及び配当所得が被告主張通りの金額であることは認めるが、その余の被告主張の金額は争う。

(二)  原告の昭和二七年の期首棚卸額が二、二〇〇、〇〇〇円であるとの点については、昭和二六年分の修正確定申告の際、原告が同年の期末棚卸額を二、二〇〇、〇〇〇円と計上したことは間違いないが、それは次のような経緯によつて漠然と記入したものであつて、実際にははつきりした金額ではない。

即ち昭和二六年九月頃、宇都宮税務署直税課の村上事務官、増田事務官、外一名の者が、原告の在庫品全部を調査し詳細に記入して行つた。その際原告が在庫高について説明を求めたが、別に説明をしてくれなかつた。ところで当時商人に対しては、税務署から所得額を他の商店と比較して指定する慣習になつていたのであるが、昭和二七年三月、原告が村上事務官から呼ばれて税務署へ行つたところ、同事務官から原告に対して、他の店も上つているのだから君の所も前年度の九二〇、〇〇〇円に対して二割増の一、一〇〇、〇〇〇円にするようにと指定された。そこで原告はこれを承認して、その所得額を算出するために漠然と昭和二六年の期末棚卸額を二、二〇〇、〇〇〇円として記入したものである。以上のように右金額は便宜的な数字であつて確かな根拠がある訳ではなく、従つて再調査請求の際には昭和二七年の期首、期末ともその棚卸額を二、七五〇、〇〇〇円と推定計上した次第である。

(三)  次に昭和二七年の売上金額が一〇、一七七、〇三五円であるとの点については、原告が審査請求の際、昭和二七年の売上金額として右の金額を計上したことは間違いないが、これは原告が経理の念に乏しく、計理士も頼まないで素人考えで処理したため、原告の事業所得に関係のない私物の中古衣類を処分した金額四〇一、七一八円をも含めて計上した了つたものである。

即ち原告は、昭和二七年一〇月に一〇〇、五一一円、同年一一月に一五〇、〇〇一円、同年一二月に一五一、二〇六円、の原告の妻ヨシ、長男栄一、二男孝仁、長女和加子、及び原告自身の私物たる中古衣類を売却処分したのであるが、この金額を誤つて原告の事業所得としての売上金額の中に加算し、一〇、一七七、〇三五円と計上したのであつて、このことは次のことから見ても明からである。

即ち右一〇、一七七、〇三五円の月別割合は、

一月 九六一、〇二四円

二月 六八七、六七五円

三月 八三九、〇〇一円

四月 七九〇、九四八円五〇銭

五月 七七六、三四一円五〇銭

六月 六八六、八九二円

七月 八一六、七一八円五〇銭

八月 七四八、一二六円五〇銭

九月 七六一、〇六八円

一〇月 七四八、六六七円

一一月 一、〇六〇、四二六円

一二月 一、三〇〇、一四七円

として申告し、これが確定申告及び更正再定によつて承認せられたのであるが、然しながら実際には甲第二号証の売上帳によると、一〇月分は六四八、一五六円、一一月分は九一〇、四二五円、一二月分は一、一四八、九四一円、

であつて、しかも右帳簿の記載は、昭和二七年一〇月一日に宇都宮税務署から調査に来た際、帳簿をつけなれば駄目だと言われて同月から正確に記帳した純粋の店舗売上である。然るに原告が誤つて之に妻ヨシ、長男栄一、二男孝仁、長女和加子、及び原告自身の私物たる中古衣類を処分した金額を加算したため、一〇、一一、一二月分の申告額が前記の金額となつたもので、右三カ月分の申告額と帳簿との差額、一〇月分一〇〇、五一一円、一一月分一五〇、〇〇一円、一二月分一五一、二〇六円、以上合計四〇一、七一八円が右中古品の処分金額である、

従つてこの金額は原告の昭和二七年分の売上金額から控除さるべきものである。

(四)  なお、被告が主張する昭和二七年度の原告の事業所得告中、売上金額一〇、一七七、〇三五円の中には中古品の処分金額が含まれているとは右に述べた通りであるが、売上原価七、九二六、五四三円、仕入額八、四七六、五四三円、期末棚卸額二、七五〇、〇〇〇円の中には、中古品の価額が含まれていないことは争わない。

と述べ、

証拠として、甲第一、第二号証を提出し、証人村上秀、同入江庫介、同手塚キヨ、同福上ヨシの各証言、及び原告本人の供述を援用し、乙第一、第三、第六、第七、第九号証の各成立を認め、その余の乙号証はいずれも不知と述べた。

被告訴訟代理人は、主文と同趣旨の判決を求め、

(原告の請求原因に対する答弁として、)

原告主張の請求原因第一項の事実、第二項中昭和二七年度分の所得税の申告として原告主張のような申告があつた事実、第三項第四項の各事実、はいずれもこれを認めるが、その余の事実は争う、と述べ、

(被告の主張として、)

被告が原告の昭和二七年度の所得額を算定した根拠は次の通りである。

(A)  事業所得

一、収入金額

(一) 売上金額一〇、一七七、〇三五円(原告の審査請求による申立と同額)

(二) 売上原価七、九二六、五四三円

(1) 期首棚卸額 二、二〇〇、〇〇〇円

この計数は、被告が原告の昭和二六年分の所得の調査をした際得られた資料に基き、原告が同年分の修正確定申告をした際、その所得額の算定基礎をなす期末棚卸額として計上した額である。

(2) 仕入額 八、四七六、五四三円

この計数は、被告が原告の審査請求記載の申立額八、四一〇、七七三円を精査の上、これより原告の計算誤謬四四、六三一円を控除し、更に計上洩れの一一〇、四〇〇円を加算した額である。

(3) 期未棚卸額、二、七五〇、〇〇〇円(原告の審査請求による申立と同額)

よつて、(1)+(2)-(3)の算式により、売上金額に対する原価を算出したものが売上原価である。

(三) 差益金額 二、二五〇、四九二円

この計数は、売上金額一〇、一七七、〇三五円から売上原価七、九二六、五四三円を控除した額である。

二、必要経費

(一) 公租公課 一三九、九九二円

(二) 荷造運賃 三九、五五〇円 (審査請求の申立と同額)

(三) 水道光熱費 三〇、六三六円 (同右)

(四) 旅費 二四、〇〇〇円

通信費 一八、九二九円

(五) 広告、宣伝費 一三六、一六九円

(六) 交際費 一九、〇〇〇円

(七) 火災保険料 二一、三七六円

(八) 消耗品費 八七、〇七〇円 (同右)

(九) 外註工賃 一二、二〇〇円

(一〇) 雑費 二八、一三〇円

(一一) 傭人費 二三六、〇五〇円 (同右)

(一二) 減価償却費 二三、〇五〇円

(一三) 地代 一〇、〇〇〇円 (同右)

計 八二六、一五二円

ちなみに、被告が計上した右必要経費は、原告が審査請求において申立てた必要経費七八九、四五六円を上廻るものである。

三、よつて原告の事業所得金額は、差益金額二、二五〇、四九二円から必要経費八二六、一五二円を控除した一、四二四、三四〇円である。

(B)  配当所得 一五、八七〇円(審査請求の申立と同額)

(C)  原告の総所得金額 一、四四〇、二一〇円

これは(A)+(B)の算式による総所得である。

従つて右の所得金額の範囲内において、原告の昭和二七年分の所得金額を一、三三五、一三三円と認定した被告の更正決定には何等違法の点がない。と述べ、

(被告の主張に対する原告の反駁に対して、)

被告が原告の昭和二七年分の事業所得金額の算出に当り、期首棚卸額を二、二〇〇、〇〇〇円とした根拠は、次の事由からである。

一、事業調査による方法

(一) 昭和二六年一〇月末日現在における棚卸額一、七九一、八一五円

この額は、宇都宮税務署の村上事務官が、昭和二六年一一月に原告方の商品の棚卸額を実地に調査した結果得られた額である。

(二) 同年一一月、一二月における仕入額一、九三七、二〇〇円

この額は、原告が備付帳簿に記載されている額であるとして右村上事務官に申出で、同事務官が他の月の仕入額等を勘案した結果正確なものとして認定した額である。

(三) 右期間内における売上原価一、五〇三、一三三円

(1) 同期間中の売上金額一、八七五、四〇一円

この額は前記(二)と同様原告が備付帳簿に記載されている額であるとして申出で、村上事務官が正当と認定した額である。

(2) 差益率一九・八五%(昭和二六年度分)

これは宇都宮税務署植木事務官が昭和二七年七月に原告の昭和二六年分の所得を調査した際、調査の結果得られた差益率である。ちなみに昭和二七年の標準差益率は、洋品につき二一・五%、呉服につき一八・二%で、この標準差益率は昭和二六年分の所得算出に適用しても大差ないが、この数字から、原告のように洋品と呉服の両者を扱つている場合の平均差益率を求めると一九・八五%となり、植木事務官の調査差益率と一致する。

(3) 而して右(1)(2)の数字から右期間の売上原価を算出すると、

1,875,401×(1-0.1985)=1,503,133円となる。

(四) そこで(一)+(二)-(三)の算式により昭和二六年の期末棚卸額を算出すると二、二二五、八八二円となるから、この範囲内で昭和二六年の期末棚卸額を二、二〇〇、〇〇〇円と認定したことは相当であり、而して昭和二六年の期末棚卸額と昭和二七年の期首棚卸額とは一致すべきものであるから、昭和二七年の期首棚卸額を二、二〇〇、〇〇〇円と認定したことは正当である。

(五) なお、昭和二六年の期末棚卸額が、二、二〇〇、〇〇〇円であることは、前記植木事務官が昭和二七年七月に原告方へ赴いて昭和二六年分の所得を調査した際、原告自身から申出ているのであり、原告はこの額を基礎として昭和二六年分の修正確定申告を提出しているのである。

二、経済事情及び権衡調査による方法

昭和二六年、二七年頃の経済事情は、一般に景気の上昇期にあり、市場の需要に応ずるため、商品の在庫も漸増の傾向にあり、これを宇都宮市内の同業者についてみると、昭和二六年の期末棚卸額を同年期首棚卸額と対比した場合の増加率は七四%、昭和二七年の期末棚卸額を同年の期首棚卸額と対比した場合の増加率は四六%となつている。

ところで原告の昭和二六年の期末棚卸額を二、二〇〇、〇〇〇円とした場合、同年の期首棚卸額は原告の記載によると一、一六三、九二四円であるからその増加率は八九%、また昭和二七年の期末棚卸額は原告の主張によると二、七五〇、〇〇〇円であるからその増加率は二五%であつて、一般の経済事情からも首肯でき、また同業者とも権衡が維持される。

しかるに原告主張のように、昭和二六年の期末棚卸額を二、七五〇、〇〇〇円とすると、昭和二六年の期末における増加率は二三六%と極端な比率を示すに反し、翌年の増加率は零という到底首肯できない結果を生ずる。

従つて被告が昭和二六年の期末棚卸額(即ち昭和二七年の期首棚卸額)を二、二〇〇、〇〇〇円と認定したことは相当であるというべきである。

次に被告が原告の昭和二七年分の売上金額として、原告申立の一〇、一七七、〇三五円を採用したのは、原告の備付帳簿から算出された売上原価及び売上差益から逆算した結果から見て妥当として援用したものであるが、被告が採用した右売上金額は、新品に関する売上原価及び売上差益から算出した売上金額の範囲内の額であるから、当然新品のみの売上金額であつて、中古衣類の売上は含まれていない。すなわち、

(一) 売上原価七、九二六、五四三円

この額は、既に述べたように、期首棚卸額二、二〇〇、〇〇〇円に、仕入額八、四七六、五四三円を加えた額から、期末棚卸額二、七五〇、〇〇〇円を差引いて得られた数字であるが、期首棚卸額二、二〇〇、〇〇〇円は新品のみに関する額であるし、また右の仕入額及び期末棚卸額が中古衣類を含んでいないことは原告も自認しているのであるから、必然的に右の売上原価は新品のみの金額を示すことになる。

(二) 売上差益率二六%(昭和二七年度分)

浜野事務官が昭和二七年一〇月原告方に赴いて、同日現在における原告の売上に関する帳簿記載の各商品毎の売上金額及び原価からその売上差益を求め、更にその各商品の売上全商品に対する構成割合から、全商品の売上に対する平均差益率を求めると、その差益率は次の通り二六%である。而して同事務官は、右調査の際中古品についての調査をしていないから、右の数字は当然新品のみに関する平均差益率を示すこととなる。

品目 売上差益 構成割合 構成割合による差益

絹 二七・四二% 二〇% 五・四八四%

綿 二一・五八 二〇 四・三一六

人絹(スフ) 二七・二六 三二 八・七二三二

帯地、風呂敷 二六・七九 三 〇・八〇三七

蚊帖 一七・八二 三 〇・五三四六

足袋 二〇・二二 二 〇・四〇四四

毛物 二八・七一 二〇 五・七四二

平均 二六・〇〇七九

(三) 売上金額一〇、一七七、〇三五円

右の(一)(二)によつて売上金額を逆算すると、新品のみに関する売上金額が算出されるわけで、その算出額は一〇、七一一、五四四円(7,926,543÷(1-0.26)=10,711,544円)となり、原告申立の売上金額一〇、一七七、〇三五円を超えることとなるが、値引やロス品等による減収が認められるので、これを下廻る右原告申立の金額を採用したのである。従つて右の売上金額の中には中古衣類の売上金が含まれていないことは自ら明白である。

(四) 原告は右の売上金額の中には中古衣類の売上金四〇一、七一八円が含まれている旨主張するが、昭和二七年一〇月に行われた被告の調査の際には、原告は私物の売上が五六、〇〇〇円あると申出で、その後の調査の際にも古着の売上が苦干あると申出たが、被告は之等の売上は別個のものとして、その売上には触れず、前述の如く新品の売上のみを調査してその売上金額を算出したのである。

また原告は、審査請求に対する調査の際には、係争年度の九月までの売上については記帳洩れがあるので、これが脱漏を補正するため、この売上の記帳洩れを一〇、一一、一二月の売上に加算したと申述べていたのであつて、その際は原告は古着の点は何等問題とせず、まして家族の古着を売つたとようなことは何も申述べなかつたのである。

もつとも原告は、以前は古着の販売を営んでいたものであり、衣類の統制が緩和され次いで撤廃されるに従い漸次新品を取扱うようになつたもので、係争年度にも古着の販売が苦干あつたかも知れないが、大部分は新品の販売であつたので、被告は古着の販売には触れずに、前述の如く新品のみの販売を調査したものである。従つて若し係争年度中に原告主張の如き古着の売上があつたとすれば、それは右に述べた事情から通常の古着商品の販売であつたと認められ、また仮りにそれが家族の物であつたとしても、それは古着の販売としてなされたものであるから、その売上が原告の営業上の収入となることに変りはなく、且つその金額は前述の売上金額一〇、一七七、〇三五円の中には含まれていないのであるから、却つて原告の収入として右売上金額に加算さるべきものとなるのである。

と述べ、

証拠として、乙第一乃至第九号証を提出し、証人村上秀、同植木功、同浜野弘、同野沢亀次郎、同斎藤義隆の各証言を援用し、甲第一第二号証の成立を認めた。

理由

原告が肩書地で呉服及び洋服生地類の販売業を営んでいること、原告が昭和二七年度の所得税に関し、所得額一、〇一五、八七〇円、その税額三〇八、〇九〇円なる旨の申告をしたところ、被告が原告の昭和二七年度の所得額は一、三三五、一三三円で、税額は四五五、九〇〇円である旨の更正決定をなし、この決定に対して原告が再調査の請求をし、次いで審査請求をしたが、いずれも容れられなかつたこと、は当事者間に争いがない。

ところで被告は、昭和二七年度における原告の所得額算定の根拠として、

(A)  事業所得

一、収入金額

(一)  売上金額 一〇、一七七、〇三五円

(二)  売上原価 七、九二六、五四三円

(1) 期首棚卸額 二、二〇〇、〇〇〇円

(2) 仕入額 八、四七六、五四三円

(3) 期末棚卸額 二、七五〇、〇〇〇円

(三)  差益金額 二、二五〇、四九二円

二、必要経費 八二六、一五二円

三、事業所得 一、四二四、三四〇円

(B) 配当所得 一五、八七〇円

(C) 総所得額 一、四四〇、二一〇円

となるところ、このうち一、三三五、一三三円をその所得額と認定した旨主張するのに対し、

原告は、被告主張の右金額中(2)の仕入額、(3)の期末棚卸額、二、の必要経費、(B)の配当所得、を認め、(一)の売上金額及び(1)の期首棚卸額(従つて(二)の売上原価、(三)の差益金額、三の事業所得、(C)の総所得額)を争つているので、以下に之等の点を判断する。

(一)  先ず被告主張の期首棚卸額二、二〇〇、〇〇〇円が正当であるか否かについて検討する。

昭和二七年の期首棚卸額が昭和二六年の期末棚卸額と一致すべきものであることは言うまでもない。

そして原告が昭和二六年度分の修正確定甲告をする際に、同年の期末棚卸額を二、二〇〇、〇〇〇円と計上したことは、原告も自認するところである。

しかるに原告は、昭和二六年度分の修正確定申告の際右のように期末棚卸額を計上したのは、確たる根拠があつた訳ではなく、同年度の所得額を一、一〇〇、〇〇〇円程度にするように被告税務署の係員から指示されたので、その所得額を算出するための便宜上の措置として、一応期末棚卸額を漠然と二、二〇〇、〇〇〇円と計上した。それ故、昭和二七年度分の所得税の更正決定に対する再調査を請求する際には、昭和二七年の期首棚卸額(従つて昭和二六年の期末棚卸額)を、昭和二七年の期末棚卸額と共に二、七五〇、〇〇〇円と推定計上した、と主張するのであるが、この原告の主張は、その主張自体が甚だ無定見で且つ一貫性を欠くことを先ず指摘せざるを得ない。

ところで、証人村上秀、同植木功、同浜野弘、同斎藤義隆、同入江庫介の各証言と、成立に争いのない乙第一号証、証人植木功の証言によつて成立が認められる乙第二、第四号証、及び弁論の全趣旨を綜合すると、次の事実が認められる。

(1) 昭和二六年一一月中頃、被告税務署の事務官村上秀は他の二人の事務官と共に原告方へ赴き、権衡の柱とするために原告方の売上金額、仕入額、棚卸額、必要経費等を念入りに調査した。その結果、原告方の昭和二六年の期首棚卸額は一、一六三、九二六円、昭和二六年一〇月末日現在の棚卸額は一、七九一、八一五円であることが判明し、更にその後原告に対して書面で報告を求めた結果によると、昭和二六年一一月一二月分の仕入額は、一、九三七、二〇〇円、同期間中の売上金額は一、八七五、四〇一円であることが判明したので、村上事務官は計算の結果、原告の昭和二六年の期末棚卸額を二、一七一、三七四円と算出した。

(2) 次いで昭和二七年七月一二日頃、被告税務署の事務官植木功が原告方へ赴き、昭和二六年度分の所得税の更正決定のため、前記村上事務官の調査を基礎として原告の昭和二六年分の所得を調査した。この調査は原告の仕入帳、売上帳、経費帳などを調べた上、原告の言い分を聞きながら調査したのであるが、その際原告は昭和二六年の期末棚卸額は二、二〇〇、〇〇〇円であると申立て、この額は目算で出したと相当の自信を持つて答えたので、同事務官は前記村上事務官の調査と対照して右申出の期末棚卸額を妥当と認め、調査の結果を乙第二号証に記載した。なほこの調査の結果、原告の昭和二六年度分の差益率は一九・八五%であることが判明した。そして原告の依頼により乙第一号証の修正確定申告書に所要事項を記載してやり、原告は逐一その数字を承認した。なお植木事務官はその後、原告と類似の営業を営む者の営業状態を調査して乙第四号証を作成した。

(3) 更に昭和二七年一〇月二日頃、被告税務署の事務官浜野弘が他の二人の事務官と共に原告方へ赴き、青色申告監査のため原告の仕入帳、売上帳、売掛帳、経費明細帳などを調査したが、その際原告は、昭和二七年の期首棚卸額は二、二〇〇、〇〇〇円であり、これは一々計算した訳ではないが自分が目安をつけてそのように算定したものであると言つていた。なお同事務官が右調査により、原告の昭和二七年度の売上差益率を計算したところ、平均差益率は二六%であつた。

(4) 更に前記村上事務官が調査の結果得た、昭和二六年一〇月末日現在における原告の棚卸額一、七九一、八一五円と、同年一一月一二月の仕入額一、九三七、二〇〇円、同期間中の売上金額一、八七五、四〇一円、及び前記植木事務官が調査の結果得た昭和二六年度における原告の売上差益率一九・八五%とによつて計算してみると、右昭和二六年一一月一二月の売上原価は一、五〇三、一三三円となり、昭和二六年の期末棚卸額は二、二二五、八八二円となるから、その範囲内において右期末棚卸額(従つて昭和二七年の期首棚卸額)を二、二〇〇、〇〇〇円と査定したことは妥当である。

(5) なお右の金額は宇都宮市内の他の類似の同業者と比較しても均衡がとれている。

以上のことが認められる。

そうすると、原告が昭和二六年度分の修正確定申告をする際、若し被告税務署の係員から指導されて同年の期末棚卸額を二、二〇〇、〇〇〇円としたにしても、実額調査によつてその額は相当であると認められるものであり、他の同様の店との権衡上からも妥当と認められ、しかも原告がこの額を承認して前記修正確定申告書に計上したものである以上、他に之を覆えずに足る特段の資料を提出しない限り、右の金額は相当と言わざるを得ないのであつて、原告は本訴において、右認定を覆えすに足るべき何等の資料も提出していないのであるから、被告主張の右棚卸額は正当というべきである。

(二)  次に被告主張の売上金額一〇、一七七、〇三五円が正当であるか否かについて検討する。

(イ) 原告が本件更正決定に対する審査請求において、昭和二七年度分の売上金額を一〇、一七七、〇三五円と申立てたことは原告も自認するところである。

しかるに原告は、右売上金額の中には、私物たる中古衣類を売つた代金四〇一、七一八円が含まれているから、これを差引くべきものであると主張し、証人福上ヨシ及び原告本人も右主張に副う証言供述をしている。即ち、

(1) 証人福上ヨシの証言によると、原告方では税金の支払いや生活に困つて私物である衣類を売つたことがある。売つたのは主として自分の着物で、祝儀の着物一組、訪問着、羽織、長襦袢、帯などであるが、その外に子供のものもある。売るのは主人に委せ、主人が市場や古着屋へ持つ行つて処分した。売つたのは主として昭和二七年中であるが、何月頃であつたかは記憶しない。なお売つた品物は大体二〇点位であるが、どれ位の代金になつたかは知らない。売つたのは自分の着物なので帳簿にはつけていない。原告は以前古着屋をやつていたが、新品が出廻るようになつたので古着屋をやめた。然し古着は現在でも行李に二つ位残つている。というのであり、

(2) 原告本人の供述によると、自分は税金が高いため店の商品を売つた丈では納税できないので、昭和二六年頃から妻や家族の古着を売つており、一番多く売つたのは昭和二七年一〇月以降で、翌二八年にも少し宛売つた。売つた先は友人の古着屋に売つたのが多く、店でも直接客に売つた。私物の古着は、売るために店頭に列べておいたことはない。売つた金は売上金の中に加えたと思う。売上は全部金庫の中へ入れ、後で自分が帳簿につける。甲第二号証の金銭出入帳は、昭和二七年一〇月に税務署の人が調査に来た際、金銭出納帳をつけなさいと言われたので、つけるようになつたもので、この中には私物の古着を売つた代金は入つていない。昭和二七年度分の所得を申告した際には、月別に売上金額を書いて出したが、その中には私物の売上金も入れてある。従つて昭和二七年一月分から一二月分までについて言えば、甲第二号証に記入してある売上金額と、昭和二七年度の月別売上金額として申告した金額の差額が、私物の売上金となる訳である。然し九月分までのことは判らない。乙第七号証は、税務署の人が調査に来た際、「税金を納められないので私物まで売つている」と話したところ、その明細を書いて出すように言われたので、書いて出したもので、初めの振袖四点だけが売先を憶えていたので売先を書いた。これを書いて渡したのは何時頃であつたか記憶がない、昭和二七年一〇月に税務署の人が調査に来た際は、私物を売つていることは言わなかつた。その当時は売る必要がなかつたからである。昭和二八年から二九年にかけて、税務署の人が入れ替り立ち替り昭和二七年度分の所得の調査に来たが、その人達にも昭和二七年中に私物を売つたことは話さなかつた。というのであり、

(3) また証人手塚キヨも、昭和二六、七年頃、主人の手塚武が原告から頼まれて、原告の妻の着物や帯などを市場で売つてやつた旨を証言している。

然しながら一方、証人村上秀、同植木功、同浜野弘、同斎藤義隆の各証言と成立に争いのない乙第七第九号証によると、

(1) 村上事務官が昭和二六年一一月中頃、原告方へ赴いて調査した際には、中古品はなく、原告の方から中古品だと言はれたこともなかつたので、新品のみについて調査した。というのであり、

(2) 植木事務官が昭和二七年七月一二日頃、原告方へ赴いて調査した際には、原告は中古品を取扱つているということは言わなかつたし、棚卸額中に中古品の額が入つているということも言わなかつた。なお売上高を調べた際、原告は毎日の売上高から生活費や税金を引いてあるというので、その分を加えて調査額を出した。原告が引いた税金とは、所得税、事業税、固定資産税で、原告が引いてあると言つた生活費は三四四、四七七円である。というのであり、

(3) 浜野事務官が昭和二七年一〇月二日頃、原告方へ赴いて調査した際には、原告から中古品の取引については何の申出もなかつたので、同事務官は中古品としての調査はしなかつた。然し原告が資金を得るために自分と家族の私物を処分したと言うので、その内容を書面に書いてもらつた。それが乙第七号証で、原告はそのとき大島健作に売つたと言い、大島以外の人にも売つたということは言わなかつた。その処分した代金は五六、〇〇〇円で、原告から申出があつたので右金額を調査の売上金額から除算した。というのであり、

(4) 斎藤義隆事務官が昭和二九年六月頃、原告方へ赴いて調査した際には、原告から私物を売つたということをきいた。乙第七号証は、自分が調査に行つたときには既に提出されていたが、それ以外に売つた品物があるということはその時言つていなかつた。右の調査の時には、仕入れと売上について数字面を調査したのであるが、原告は仕入れは正しいが売上の方は帳簿上脱落があると言つており、その理由は、売上金から月三万円程の日掛貯金をしていたが、その分の記帳をしていないと言つていた。というのであり、

(5) そして乙第七号証によると、原告が私物の売却分として浜野事務官に申出た品物は振袖四点外一九点で、その処分代金は合計五六、〇〇〇円であり、また乙第九号証によると、大島健作が原告から中古振袖を買受けたのは昭和二六年一二月中であつたというのである。

而して前に述べた証人福上ヨシ、同手塚キヨの各証言及び原告本人の供述と、後に述べた村上秀、植木功、浜野弘、斎藤義隆の各証言及び乙第七第九号証の記載とを対照すると、乙第七号証に記載されている品物については、原告が昭和二七年度中に売つた私物の販売として、被告においてもその売上金合計五六、〇〇〇円を原告の昭和二七年度分の売上金額の中から既に控除していることが明かであるが、それ以外に原告が果してその主帳の如き四〇一、七一八円の私物を昭和二七年中に販売したかどうかは、その証明が不十分である(原告本人の供述及び福上ヨシの証言は前掲各証拠と対照してそのまゝこれを措信することができないし、また甲第二号証の記載も前掲各証拠と対照して正確な記載と断定するわけには行かない)。

(ロ) 更に計数上から検討しても、

(1)被告主張の、昭和二七年度における原告の期首棚卸額二、二〇〇、〇〇〇円が正当であることは既に認定した通りであり、また(2)同年の仕入額が八、四七六、五四三円で、(3)期末棚卸額が二、七五〇、〇〇〇円であることは原告も争わないところであつて、この期首棚卸額、仕入額、期末棚卸額の中には中古品が含まれていないことは前掲証人村上秀、植木功、浜野弘の各証言によつて明かである(右仕入額、期末棚卸額中に中古品が含まれていないことは原告も自認している)。

そうすると右の(1)+(2)-(3)の方式によつて算出される売上原価七、九二六、五四三円も、新品のみに関する売上原価である。

而して前掲証人浜野弘の証言によると、同人が昭和二七年一〇月に原告方へ赴いて調査した結果得た、同年における原告の売上差益率は二六%であつて、右調査の際には中古品についての調査はしなかつたことは既に述べた通りであるから、右差益率は新品のみに関するものである。

この差益率によつて前記売上原価七、九二六、五四三円から売上金額を逆算すると一〇、七一一、一五四四円となり、これは新品のみに関する売上金額であつて、被告主張の売上金額一〇、一七七、〇三五円を超えるから、被告主張の右売上金額の中には中古品の売上金が含んでいないことが判明する。

従つて右売上金額の中に四〇一、七一八円の私物たる中古品の売上金が含まれているとの原告の主張は理由がない。

以上検討したところによると、被告が主張する、昭和二七年度における原告の売上金額、売上原価、期首棚卸額、仕入額、期末棚卸額、差益金額、必要経費、事業所得、配当所得、総所得額などの金額は、いずれも妥当なものと認められるから、これに基いてなした被告の本件更正決定は正当であり、原告の本訴取消請求は理由がない。

よつて原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 石沢三千雄)

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